東大女子の戯言

仕事、子育て、婚活、副業、思ったことを徒然と。

闘病は本人も辛いが、家族も辛い。

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やる気が出ない





相変わらず夫は原因不明の肩の痛み、胸の痛みに悩まされている。

 

症状は良くなるどころか、悪くなる一方。

 

朝晩と部屋からは痛みに苦しむ声が聞こえてくる。

 


医者が頼りにならないことへの虚無感

 

かれこれ3年ほど痛みに苦しめられている。

 

今まで放っておいた訳ではない。

 

いくつもの病院や鍼灸所を訪ね歩いているものの、「原因不明」という回答しか得られていないのだ。

 

テレビでも話題になっていた「原因不明の疼痛を治す名医」を訪ねて横浜まで足を運んだものの、期待していたような成果は得られなかった。

 

病院だけでも10カ所は訪ねているのではないだろうか。

 

労力とお金をかけて病院を受診するものの、何も得られない。

 

徒労感は虚無感へと変わっていく。

 

もとより夫は医者が苦手だったが、ますます信頼できなくなったようだ。

 


慢性的な痛みは活力を奪う


慢性的な痛みは、そのひとの活力を奪ってしまう。「遊びたい」という意欲も、元気がなければ湧いてこない。最近の夫は、めっきり元気がなくなってしまった。

 

痛いから、心が落ち込んでいるのか。

 

心が落ち込んでいるから、痛みが出るのか。

 

さながら「ニワトリが先か、卵が先か」である。

 

原因不明と言われると、モヤモヤと色んな考えが湧いてくる。

 

原因は仕事なのか、家庭なのか。はたまた家に憑いた悪霊かもしれない。

 


憂鬱さは伝染する


身近にいる大事な人が辛そうにしている。

 

できるかぎりチカラになりたい…と思うものの、原因不明である以上、何をしていいのか、家族としても途方に暮れてしまう。

 

苦しそうな呻き声を聞き続けていると、こちらも心が落ち込んでしまう。

 

何もしようがない。こちらも無力感に浸されてしまう。

 

とりあえず出来ることとして、平日における夫の家事はなくすことにした。

 

夏休みは仕事からも家族からも離れて遠くの国に旅に出てもらうことにもしている。

 

でも、きっと痛みは良くならないだろう。

 

今までも「一人でリフレッシュしておいで」と送り出してきたが、特に状況は良くなっていない。

 


子どもの明るさに救われる


そんな状況のなか、子どもはマイペースに「さんぽ!(散歩に行きたい!)」「シャボン玉!(やりたい!)」と楽しそうに話しかけてくる。

 

これは私にとって大きな救いとなっている。

 

楽しそうにしてくれる人がいると、私も楽しい。

 

子どもと一緒にいることで大変なことも多いけれど、子どもと一緒に過ごすことで味わえる幸福感というものがある。

 

揺らがない信頼。とめどない愛情。

 

人生に彩りを運んできてくれてありがとう。

 

私は犬や猫と暮らしたことがないけれど、信頼関係や愛情を育むという点で、子どもと限りなく近いように思う。

 

夫も同じように感じられたら良いのに。分からないけれど、きっと違うのだろう。

 

同じ出来事でも、幸せを感じる人もいれば、義務感を覚える人もいるのだろう。

 

 

今日が終わり、明日が来る。

 

解決策が分からないまま、今日もまた日が過ぎていく。

 

幸せと、悲しみと、やるせなさが、まだらに混じり合っている。

 

まぁ、元気がないのは梅雨のせいかもしれない。

 

明日は晴れとの天気予報なので洗濯をしようではないか。