東大女子の戯言

仕事、子育て、婚活、副業、思ったことを徒然と。

理不尽な死という運命を受け入れることはできるか。

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今度は川崎市登戸で、痛ましい事件が起きてしまった。

 

悲しい事件を聞くと、悲しみや憤りの感情が湧き出てきてしまう。特に子どもが巻き込まれるニュースは心を抉られるような感覚だ。

 

全国津々浦々の事件がニュースで流れてくるというのは、心理的には良くない気がする。周囲を見ていると、ニュースに気持ちが影響されやすいのは男性よりも女性に多いようだ。女性のほうが男性よりも共感力が高いというのは、なるほど確かにそうかもしれない。

 


理不尽な死

 

青信号を渡ったとしても、高齢者の運転する車で事故に遭うかもしれない。

 

信号待ちしていても、公園で遊んでいても、車が突進してくるかもしれない。

 

スクールバスを待っている間にも、通り魔に襲われるかもしれない。

 

新幹線に乗っているときだって襲われるかもしれない。

 

一体なんなのだろう。

 

別に誰かの恨みを買った訳じゃないのに。

 

お金を遣い込んで借金を追った訳でもないのに。

 

全くの赤の他人によって訪れる突然の死。

 

なんて理不尽なんだろう。

 


人生はコントロールできるという思い込み

 

私たちは「人生は自分でコントロールできる」と信じている。学校だって就職先だって結婚相手だって、自分が選んでいる。成功していない人のことは「努力が足りなかったんだ。自業自得だ」と考える人も多い。

 

人生を自分でコントロールできるのならば、それは素晴らしいことだ。

 

でも、実は人生は“偶然”というものに多大な影響を受けているのだ。日常において本人は気付いていなくとも。成功するかしないか、良い職に就いているかどうか、いま健康で生きているかどうか。ありとあらゆる全てのことは“偶然”に影響を受けているのだ。

 

自分で大まかな方針を決める場面はあるだろうが、自分の力では如何ともしがたい見えないチカラもあるのだ。

 

自分の意に沿わない、なんとも理不尽な目に遭った時。それは自分のチカラではどうしようもないことも多い。

 


運命を受け入れられるか


その “偶然” を “運命” と呼ぶとしよう。

 

わたしたちは “運命” を受け入れることはできるのだろうか。

 

本当に耐えがたいことが起きたとき、その “運命” とやらを受け止めて、生きることを続けられるだろうか。

 

そういった絶望的な状況の救いとして宗教があるんだろう。わたしは無宗教だけれども、生きることに救いを見出すという点で宗教には意義があると思っている。

 


日常における自衛対策


わたし個人で言えば、その “運命” とやらを受け入れることは難しいと思っている。

 

とすれば、“偶然” である災難のリスクを避けるための努力をするしかない。人生を自分で完全にコントロールすることは不可能でも、少しくらいは抗いたい。

 

・子どもの登下校は付き添う。

 

・外を歩いているときは、ボーっと歩かない。常に気を張っておく。

 

・自衛道具を携帯する。例えば、催涙スプレーなど。

 

・自衛道具を使いこなす練習をしておく(持っているだけでは意味がないので)。

 

・・・なんて対策を考えてみたけど、効果があるのかは怪しい。ヤバイ人を相手に、常人が立ち向かうのは難しい。

 

 

 ※twitterで↑こんな防衛手段も見つけた。ちょっと試してみようと思う。やはり日頃の練習は必須だな。


悲しいニュースは避けてもいい

 

ニュースを聞いて落ち込んでしまう心優しいタイプの方は、報道番組やSNSは避けた方が良いだろう。

 

貴方が落ち込んでいることで良くなることは何もない。

 

子どもや家族、同僚とはニコニコ楽しく会話をしよう。

 

もしも・・・もしもだ。

 

突然の別れが来てしまったとして、最後の思い出は明るくて楽しいものがいいじゃないか!

 

毎日、別れ際には「大好きだよ」とハグしておこう。大好きな気持ちを伝えておこう。